小3 活動の幅が広がった
医療的ケア故、安心安全を理由に拒否された事、「普通」とは違う子だから普通の子のようにはできない事ばかりで、新しい一歩を踏み出すのにすごく臆病になっていた。
でも小3になってから、誘われたりチャンスがあれば、母子でなるべくトライしてみるようにした。
一歩踏み出した先の医療的ケアとは無関係の人・場所は、医療的ケアを全く知らないから怖さを知らないだけと言えばそうかもしれないけど、みんなスーっとあたたかく迎えてくれた。
夢だと思っていた岩登りにも行けた。
スケート教室にも次女一人で飛び込ませてみた。
以前の私だったら絶対に次女の見学をしたけど、何日も迷った結果、私は私で初心者クラスに参加し、次女と別行動した。
次女とはリンクも異なり見えなかったからよくわからないけど、数十人の子ども達に紛れ、スタッフとはジェスチャー?でコミュニケーションとり問題なく参加できたみたい。
体力作りのため、2人で山登りも始めた。
御岳山↓
高尾山↓
休日かつ紅葉シーズンでも早朝(6時)から登れば人も少なく登りやすい。
御岳山も高尾山も半日でさくっと登れるのでちょうどいい。
今年の冬は、スケート教室とクライミングと登山(ハイキング)に行きまくろうと思う。
はじめの一歩はとても勇気がいるけど、飛び込んじゃえば全然大したことない。
でも、こんなに色んな事ができるなんて、昨年度は想像すらできなかった。
次女いわく「学校では、気管切開のせいで、ダメって言われてばかり」で、自分は他の子は違うという現実に嫌でも直面しなきゃいけない。
だからプライベートでは色々経験させてあげたい。
色々な経験を通して、自信をもてるようになってほしい。
【胃ろうと注入】頻回な水分注入の難しさ
小さい時は、ベビーカーの中(影)で隠れてさっと、ができたけど、大きくなってからは、そうはいかなくなった注入問題。
食事(栄養注入)は着席しているし、隠れてさっとができるけど、問題は水分注入。
この夏は、だいたい1時間半から2時間間隔で水注入してきたけど、暑くて汗をいっぱいかくような場面では、もっと頻度を上げなきゃいけない。
たとえば、ららぽーとに行った時は、人通りが少なめの店舗の横で、
原宿や表参道に行った時は、ちょっと路地を入った道端で、
立ったまま、人がいない方を向いて、ちょこっと服をまくって、とにかくぱっぱと水注入。
私がお腹をごちょごちょさわると時間もかかるし、何だろうって思われちゃうから、娘には自分でぱっぱとやるようにしてもらっている(私は前に立って隠す係)。
時間勝負。
電車の車内など混雑していて、かつ、空間が狭い場所は人目を避けられず難しい。
地下鉄のホームで電車待ってる間に注入↓
(他人にお腹が見えることはない)
服装は、常に注入のしやすいものにしている。
水着もセパレートタイプ。
正装の時は、ボタン式ワンピがよかった↓
昔は、“娘にとって胃ろう注入は、口から摂取と同じ意味合いだから、「恥ずべきこと」、「隠すべきこと」ではなく、堂々とすることこそがいい”と(隠したくないとまで)思っていたけど、そこは考えが変わった。
今はまだ小3だからセーフだけど、もう少し大きくなったら(小4?5?)、性的な意味合いから人がいる場面で服をめくるの控えたいと考えてる。
4、5歳ぐらいから繰り返し、人前でお腹を出すことは恥ずかしいことだと教えてきた(とは言え、我が家の思春期の長女は、腹出しファッション…よくよく考えると教え方も難しい)。
私はトイレで水を飲みたくないから、トイレでの注入は避けたい。
救護室があればよいけど、普通はなかなかない。水注入ごときで毎回救護室に行くのもね、と思ってしまう。
胃ろうだと、こまめな水分摂取は結構難しい。
私はいつでも喉が渇いたらその場で秒で飲める。口から飲めるってなんて楽なんだろ。
【気管切開と水】プールで泳ぐ
プールは、浮き輪で入ってます。
水が危険であることは次女自身よくわかっていて、小さい時から水を怖がるところがあったので、私は「大丈夫、大丈夫」と少しずつ次女の背中を押してきました。
どこまでだったら大丈夫か、探り探り。
医療的ケアがあると外(他人)では怖がられやらせてもらえないことが多いから、とにかく家(親のもと)で経験させ、大丈夫、と確信を持てることのみ外(幼稚園や学校)でもお願いするようにしています。
「安全安心」第一で“やらせない”より、多少リスクをとっても様々なことに挑戦させてあげたいと思ってます。
世の中には楽しいこともたくさんあることを伝えたいから。
3年前(コロナ前)のプールでは、浮き輪を使って泳ぎ(?)ました。
(↓幼稚園年長の時の沖縄旅行にて)
犬かきで、そこそこのスピードで進みます。
前向きよりも、背泳ぎ姿勢の方が水がかからず泳ぎやすいようです。
私もプールサイドで少し余裕をもって眺められるぐらいまでになりました。
気管切開部(異変に気付きやすいよう敢えて剥き出しにしてます)に水はかかりますが、多少水が入ってもフンっと吹き出せるから大丈夫なようです。
コロナ禍を除き毎年プールやら海に連れて行っていますが、それでトラブルや肺炎になったことはないです。
今年は、小学校入学後初めてプールの授業があります(コロナ故にずっと中止だった)。
さすがにみんなと同じようには泳げないので、学校からは上の写真のような浮き輪スタイルを提案されました!
本人は浮き輪でなく、ビート板がいいと言うので、今年の夏、家族でプールに行った際に練習しようかと思います。
【気管切開と吸引】吸引不要です
次女は自分で排痰ができるので吸引(器)不要です。
次女が言うには吸引は苦しい上にカニューレ内の痰しか取れないけど、自己排痰はもっと奥から出せるからいいらしいです。
吸引器を前回使ったのは何年前だったか記憶にないぐらい。
次女が吸引不要なのは肺(肺活量)に問題がないためか。
3歳前後、シャボン玉遊びがブームに。
今思えばこれも排痰の練習になってたのかも。
(↓一人で自主練)
ピーピーラムネも好きだったけど、ピーピーラムネの場合、吹いた時でなく、息を吸った時に音がなります。
次女が1歳になってすぐの頃から、必要に迫られ毎日自転車に乗せて長女の幼稚園の送迎に行ってました。
看護師さんに自転車の振動で排痰が促されよかったのかもね、言われたこともあるな。
(↓長女の幼稚園送迎時:1歳前半)
当初、常に吸引器を持ち運び、自転車の後ろにぶら下げていたけど、とにかく大変でした(重くてバランスを崩しやすい&セッティングに時間がかかる)。
吸引するか否かの判断は、ママの感覚による部分も大きいように思います。
私は「吸引不要」と思っていたけど、他の気管切開ママに(特に医療従事者には)「(そんなにゼコゼコしてるのに)吸引しないの?」と驚かれたことも数知れず。
逆に私は「その程度のゼコゼコで吸引するの⁈(頻回で大変すぎじゃない!)」と驚くことが多かった。
次女は、吸引してもらえないから自己排痰するようになったのか。
1歳半ぐらいから吸引器を持たずに外出する時間を少しずつもつようになり、年単位で少ーしずつ排痰(自分でティッシュに“フンッ”とする)が上達しました。
小学校にも吸引器を持っていっておらず、学校に依頼している医療的ケアは胃ろう注入と、胃ろう・気管切開部位の衛生管理のみです。
今では体調が悪い時(特に季節の変わり目)以外は、気管切開特有のあのゼコゼコゴロゴロ音もなく、基本的に無音になりました。
気管切開児=吸引必要、ではないことだけは確か。
【気管切開とスポーツ】クライミングならできる!
気管切開でもできる運動を考えた。
水は厳禁だからスイミングは無理。
球技や武道は相手がいるからもし何かあったら相手に申し訳ない。
そもそも相手が不安がる。
ずっと考えてきて、
そうだ!クライミングだ!!!
と思いついた。
次女は小さい時からよじ登るのが大好きな子だったから。
(↓入院中の病室では洗面台にぶら下がるのがお気に入りだった:1歳後半)
(↓家の壁を登る:4歳)
次女に教えられるように、まずは私がクライミングを始めてみた。
やばい、私すっかりはまってしまった。
目の前の壁と対峙して、乗り越えていく。
まさに私の人生じゃん!なんて(笑)
クライミングジムに通っていたら、人が人を繋いでくれて、次女をみてくれる!という先生まで現れた。
ありがたい限り(涙)
クライミングは、聴覚障害はもとより視覚障害があってもできるスポーツなんだって。
次女は声が出せないので「もう無理!降ろしてー」の時は、手をヒラヒラする合図を使うことにした。
いつか次女と私で外岩を登りにいくのが夢。
はじめまして
次女は小顎症で生まれてすぐ気管切開をしました。
食事と水分も完全胃ろう。
満期40週、予定日に普通分娩で出産。
生まれてくるまで特に異常はなく、生まれてびっくり。
そこから予定とは全く違う産後、子育て。
思い描いていた生活とは全く違う日々。
思い描いていた人生設計は見事に総崩れ。
今8歳。
生まれてからしばらくは特に辛かった。
今も問題山積ではあるけど、それなりに楽しく充実してるかもな。
少なくとも、どん底だったあの頃には想像もつかなかった日々。
私に耐性がついたのも大きいかな。
考えてもどうしようもない、不可抗力も多いから、とりあえず目を逸らすという力はついたかな。
次女が生まれてからは私の中の幸せの基準は大きく変わったな。
平日、通院の帰りに次女と2人でランチ。
なんとも贅沢な時間。
昨日のランチ、娘の希望でお魚。
娘は少し味わう程度で食べれはしないんだけどね。